英語への挫折

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by Lel4nd

今回は、非常にネガティブな話題です。

英語への挫折パターンは、いくつもあると思いますが、かつての、わたし個人の英語挫折経験を書いておこうと思います。簡単に、どのようにして英語に挫折したのかを紹介しましょう。英語ができるできるの話ばかりでは、ひとつも教訓が得られないなとい思ったので、書いておこうと思います。誰かが同じようなパターンに陥らないようにともねがって。

学生時代は勉強はできるほうでした

わたしは基本的にそこそこ勉強が出来る子だったので、中学校、高校の英語は全く困っていませんでした。高校の前半の1年、2年の時こそクラブ活動で不勉強だったのですが、受験の年の3年生になると勉強開始、夏が終わるころには模擬テストで高得点が出ます。偏差値で言えば65程度です。この偏差値だと当時、東大や京大はともかく他の大学なら十分合格できるレベルでした。そうして、実際にとあるそこそこの大学へ進学。英語については自信をもっていました。今思うとありえない自信ですが。

挫折を味わう

大学に入ると世界が変わります。留学生や帰国子女の存在です。外国人講師なんかもいて、授業に出ても自分が全く英語が話せないことに気がつきます。

おかしいと思いながら、帰国子女がぺラペラと話しているのを見たり、自分より無能にみえる人が軽く洋書を読んでいたりしているのを見て焦りました。彼らには実際に頑張って勉強したような跡がありません。そりゃそうだ。と今は思います。いわゆる勉強みたいなのはやってないんですから。

さらに、好きな小説家たちも、本の中でいとも簡単に英語をつかい外国の作家と交流しているように見えました。翻訳なんかもしているし、それに比べて私はダメだ。と、どんどん自信を無くし、英語について考えるのを避けるようになりました。

しかし、英語を諦めたわけではないので、頑張って洋書を買って読み始めたのもこの頃です。読み方は辞書引きまくりのスタイルです。(受験勉強と同じ)なんとか1冊読むのに1ヶ月もかかり、何冊かこなしてアーヴィング「A Prayer for Owen Meany」で洋書を読むのを諦めました。もっと正確に言うと、英語についてはごまかすことにしたということです。

今なら分かりますが、私の問題ははっきりしています。問題は恥ずかしさとプライドです。自分の心の声を無視して、自分が出来ないのを一旦認めることの恐怖が、英語をマスターするための最大の障害だったのです。勉強方なんてのはまた別の話ですね。

つまり英語ができないと認めて、教えを請うことができなかった。

これが出来なかった。自分の理想との差をうめるのは、英語をやるしかありません。そのためにまず自分と向き合うことを避けました。最悪ですね。本当は自分が英語ができない(洋書が読めない)ことを認めることが、出来なかった。

英語をやらずに、どうやって英語ができるようになるのか?何にもしないで英語ができる天才なんて世の中に一人もいません。やったからできるという単純なことです。私の場合は本当に英語にふれる量が圧倒的に不足していました。

挫折感と共に10年以上

挫折したと感じ(何にもしてないのに)、その挫折感と共に10年以上過ごしてきました。おかげで、この考えは英語だけでなく、他の事にも影響を与えていたように思えます。下手でもなんでもいいから、やるという姿勢こそが何でもできる第一歩です。

もし、今わたしと同じように英会話が恥ずかしいとか、洋書が読めるフリをしているならきちんと心の声と向き合って「やらないと、出来ない」という当たり前のことに立ち返るといいと思います。

微妙な差ですが「やらないから、出来ないだけ」という言葉の、自己満足的な罠に落ちないようにしてください。こういうごまかしは、英語だけの問題でなく人生そのものに付きまとってきます。

つまり「やれば出来る、だからやる」というシンプルな話です。プライドとか恥ずかしさは忘れましょう。スマートにやるだなんて馬鹿げています。泥臭くいきましょう。

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